占いをしていると、こんな事まで考えてしまう。
私が生まれたのは必然性か偶然性か。
もちろん、この世の全てが占いで解決するとは思わない。
むしろ、今の私にはもうあまり必要性が無くなってきている気もする。
自分の事は自分で考えるし、決めたいから。
自由さこそが楽しみだと思う。
私が占いを生かしたい部分と言えば、自己の内面への深堀に
使っているかと思う。
ジョハリの窓の様にも分かりやすく、自己を垣間見る
事が出来るから。占いは止める事は
この人生において無い。
自分が気付いてない側面とかを占いに教えられる事は
よくある。
人間は、自分の良い部分も悪い部分も常に自覚し続ける事は
ほぼ不可能だと思う。
だから、時々はチクリと苦言を呈してもらいたいし
自分の実は持っていた素養なんかを、改めて教えられると
ハッとさせられる。
占いに深くハマればハマる程に、多分自分であることの重要さ
意思を持つ事や考えを持つ大切さに気が付いていくのだと思う。
段々と些事には揺るがなくなって行く、
どこか、俯瞰的に物事を見始める事になる。
占い半分・スピリチュアル半分が今の私。
なのに、どこまでも現実的でいつまでも
夢見がちですらある。
なぜなのか=27宿占いで私は虚宿だから。
この世の虚ろと現実をどの瞬間にも同時に感じている。
結果、どっちでもいい。
投げやりでも何でもなくて。
選んだなりの世界が自分には用意されるであろう事を
なんとなく理解できる。
今回は、占いとスピリチュアルの融和的な雰囲気になりましたね。
四柱推命における12運で言えば、とても【病・死】を無意識に使って書いたなぁと
いったところでしょうか。
おしまい。
お読みくださいまして有難うございました( ^^) _旦~~